哲学 philosophy

僕は服というのは、身体の一部だと思うのです。「服」という字には、「月」という字が使われていますよね?これって服が身体の一部だから使われているのでは?と僕は思っています。

厳密には身体に使うのは「肉月」、服に使うのは「舟月」で、成り立ちが違うと言われていますが、僕は身体に使う「月」の仲間に、「服」という字も含まれると思うのです。

僕の感覚では一番近いのは肌。

だから、肌をお手入れするような感覚で服もお手入れする。そうすると、服はとても長持ちするし、美しく洗い上がります。

服が身体の一部であるとすると、例えば···

●服のコンディションが悪い状態 →人間で言えば、体調を崩している状態

●服にシミがついた状態 →人間で言えば、ケガをした状態

となります。

風邪で熱が出ている時に、キズ薬を塗るなんてことをしないと思いますが、でも洗濯になると、そんなことが起こっているんです···それでは、期待する効果は得られるはずないですよね!

洗濯は服にとっての美容や治療である

「服」は、自分の身体の一部である。とすると、では「洗濯」はどのような定義となるでしょうか??

僕は、洗濯は服の不調を治す行為だと捉えています。

すなわち「洗濯は服にとっての美容や治療である」と考えています。だから、上手に洗濯するということは···

·風邪の時には風邪薬を使う。

·転んで擦りむいたら、塗り薬や絆創膏を貼る。

·肌が乾燥したら保湿する。

と、いうことと同じようなもので「服の状態、トラブルの症状に応じて適切に処置をしてあげる」ということが重要なんです。

美服のためには、強さではなく優しさを優先させる。

僕は、今の洗剤とか洗濯機は洗浄力にこだわり過ぎだと思っています。

特に、新製品をみてもらうとわかると思いますが、「洗浄力〇〇%up!」とかよく見かけませんか??でも、実際のところ、そんなに毎回毎回服汚れますか?小さな子がいるとか、作業着を着るとかの家庭であればそれなりにひどい汚れはあると思うけれど、逆に、そうゆう汚れは結局洗濯機では落ち切らないことが多いですよね?

で、結果何が起こっているかというと、無理やり洗浄力を求めすぎて服がダメージを受けています。毛羽が立ったり、毛玉が出来たり、首もとが伸びちゃうとかとかとか···

これは、服を物としか見ていない発想の洗濯です。

一方、中村式の洗濯は、服を物ではなく自分の一部として捉えています。だから、洗浄力ではなく服を丁寧に扱うことや優しさを大切にしています。

洗剤であれば落とすだけではなく「守ること」や「補うこと」を考えたりもしますし、洗濯機を有効に使いつつ、出来るだけ手を使った手間も惜しみません。言うなれば美しい服をつくる洗濯に必要なのは洗剤や洗濯機の「洗浄力」ではなく、服への「愛情力」です。自分の肌に好んで刺激の強いものを使う人がいないように、服に対しても、汚れ落ちの強さだけではなく、「服に対する優しさ」も考慮する必要があるのです。

とにかく····

「服とは、あなたを形づくる、あなたの一部である」

「洗濯とは、あなたの一部に対する美容や治療である」

という考え方が、中村式洗濯メソッドの、非常に大切な考え方になります。この考え方に基づいて、ぜひ一度、服との関係性を見つめなおしてみてください。

キレイに洗ってあげたいという意志さえあれば、クリーニングに出すよりもキレイにすることも不可能ではありません。事実、僕が洗濯を伝えた皆さんは、クリーニングに出しても落ちなかったシミや汚れをいとも簡単に落としていきます。

ぜひ、「服」も「人」も幸せになる様な洗濯を一緒に目指しませんか??